Feb 21, 2011
事業資金の融通をお願いしてきた
事業資金をカードローンで調達した知人が、"相談したいことがある"と話してきた。大体の話は知っている。事業資金の現金無駄に失われたことである。このようなことは今回が初めてではない。今まで何度も助け舟をネンイジマン、今度は途中で終了するとした。なぜなら、これは知人の助けにはならないからだ。2006年に新しい会社法が施行され、2006年に有限会社を設立することはできません。 2006年会社法以前からあった有限会社は株式会社の一種として扱われますが、既存の有限会社などの処置がとられます。しかし、以前からあった有限会社が商標有限公司での使用は認められています。現在、会社設立の種類は、株式会社、合名会社合同会社、合資会社です。
◇父の理想、自分の道で 経済的自立にこだわり
「チーズ切るなら僕に残しておいてよ」「今日は何かいいことあったの?」。雪の積もる農場を歩きながら、宮嶋望さん(59)が笑顔で話しかける。大声で応える人、はにかむ人。どこにでもある日常だが、この農場が他と異なるのは、生活する約70人の若者の多くが、障害者や不登校児など、心身に問題を抱えている点だ。
新得町の中心部に近い「共働学舎新得農場」。競争社会ではなく協力社会を、との理念の下、それぞれが自分ができる作業をしながら集団生活を営む。33年前、牛6頭で農場を始めた代表の望さんは、学舎を創設した父真一郎さん(88)への共感と反発、あこがれと対抗心を抱えながら、進路を模索してきた。
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真一郎さんは、キリスト教精神に基づく独自の教育方針で知られる私立校「自由学園」(東京都)の1期生。英語教諭として学園に残り、一時は理事も務めた。周囲の信望も厚く、学園で育った息子から見た父は常に「正しい人」。尊敬の対象だった一方、「宮嶋先生の息子」と見られるのは窮屈だった。
しかし望さんが大学1年の時、真一郎さんは「学園を辞める」と言い出した。「投げ出すのか」。裏切られた気がして、怒りの手紙を書いて家を出た。
障害者らが入学できず、必要な人に支援が届いていないことに父が悩んでいたと知ったのは、その後だ。数十人単位の集団農業で自給自足の生活をするという「共働学舎」の構想を聞き、強く共感した。だが、同時に自由学園しか知らなかった自分自身にも疑問がわいた。どこまで外の世界で通用するのか試したい−−。父が学舎設立に奔走するさなか、単身で渡米した。
牧場で働きながらウィスコンシン大に編入し、酪農を学んだ。卒業間近の78年、長野県小谷(おたり)村で共働学舎を始めた父から「北海道でもやらないか」との手紙が、広大な風景の写真とともに届いた。「大規模化と効率化を進める米国のまねではない酪農に、日本で挑戦したい」。そう思い、再び父とともに歩む道を選んだ。
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新得農場は、全国に5カ所ある共働学舎の中で異色の存在だ。他施設の経営が寄付で成り立っているのに対し、望さんは経済的自立にこだわる。収益を上げるための目玉がチーズ作り。品質の高さは折り紙つきで、昨年末には国際的なチーズ業界団体から、日本では十数人しかいない熟成士の称号「ギルド・デ・フロマジェ」が望さんに授与された。
真一郎さんは、小谷村の農場で次男一家と暮らす。目や体は不自由になったが、今も綿の種とりなどの簡単な作業に参加している。「その場所にあった方法で人々が生活できればいい」と息子の奮闘を見守る。
「僕にはカリスマ性はないし、持ちたくもない。誰かに依存せず、自立し協力し合わないと立ち行かない。おやじと理想は同じだけど、登り口は違う」。偉大な存在だった父。思いを受け継ぎながら、望さんは、その先を見据える。【坂井友子】=つづく
1月10日朝刊
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盛岡市の夏の祭典「盛岡さんさ踊り」で参加者が着た浴衣が、伝統工芸の裂き織りの作品として再利用されている。市内の住宅リフォーム業「くらし建築工房」が市の緊急雇用創出事業で障害者を雇用し、制作する。南部鉄器と組み合わせたインテリア照明などもあり、味わい深い作品に仕上がっている。
浴衣は盛岡商工会議所や地元銀行から600着を譲り受けた。緑、赤、黄、白と色はさまざま。使い古したこの浴衣を1センチ幅に裂いて機織りする。浴衣のほとんどは色あせているが、生地が柔らかく織りやすいという。
ブックカバーやテーブルクロスになるほか、南部鉄器や青森ヒバとの組み合わせでインテリア照明に変身する。2月に商品化し、発売する予定で、取扱場所や価格などを検討している。
浴衣を再利用した裂き織りは、「くらし建築工房」の石頭悦専務が2009年夏、中小企業家同友会の仲間と盛岡市の特別支援学校を見学したのがきっかけで考案された。
石頭専務は「障害者が学校で裂き織りを学んでも、技能を生かす職場がないことを知り、事業化を思いついた。盛岡といえばさんさ踊り。あの浴衣を使った裂き織りがビジネスになれば、障害者の働く場ができ、伝統工芸の文化も途絶えないと考えた」と説明する。
昨年7月から、同社の会議室を作業場にし、市の事業で雇用された障害者ら3人が仕事に精を出している。
支援学校の卒業生の武田千恵子さん(27)は「模様の変化が面白い。裂き織りは趣味で続けていたので、働けるのはありがたい」と喜ぶ。
石頭専務は「行政の支援が終わった後もビジネスとして成り立ち、障害者を雇用できるようにしていきたい」と話している。
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