Apr 18, 2011
格安レンタカー予約
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【負けないよ!! 石巻・渡波小学校の復興日記】
東日本大震災の津波で大きな被害を受けた宮城県石巻市立渡波(わたのは)小学校で21日、始業式があった。新しいクラスが発表され、教科書も配られた。だが、避難所の解消は進まず、当分の間は休校が続く。高橋義樹校長は「早く再開したいが、避難している人は地域で学校を支えてくれている人。簡単な問題じゃない」と複雑な胸中を吐露した。
《4月21日 新学年が始まる。友達も増えた》
満開の桜に包まれた校庭に人だかりができた。張り出されたクラス分けの紙に歓声が響く。「この人誰?」。60人以上が転出したが、5人が転入してきた。
「力をあわせ、新しい渡波小を作るスタートです」。高橋校長のあいさつに続き、転入生が次々と朝礼台に。「よろしくお願いします」。市内の小学校から来た5年生の裕貴君(10)はあいさつの後、涙が止まらなくなった。
「緊張してるんだよね」。新しいクラスメートが心配して励ます。でも、やっぱりさびしい。裕貴君は学校から配られた新しいランドセルの箱を抱え、「早く慣れて、友達をつくりたいな」と涙をぬぐった。
《4月19日 プレイルームを閉じることになった》
「ここが終わっちゃうとつまんない…」。4年生の鈴音ちゃん(9)が名残惜しそうに話すのは、2階の理科室に漫画やおもちゃを集めた「プレイルーム」。避難者の移転が進まず、教室はまだ2つしか空いていないが、始業式に向けてみんなで片づけた。
《4月12日 アパートに引っ越し。学校の避難生活さようなら》
始業式を前に、学校での避難生活に別れを告げる家族も増えた。「部屋は小さいけど、昔住んでいたアパートに似てるから大丈夫」。2階の教室に避難していた新4年生の聖海(せあ)君(9)は新しく借りた近くのアパートに移り住むことが決まった。
「山形行っちゃうの?」。同級生に聞かれたここあちゃん(9)は「引っ越しじゃないよ。こっちさ帰ってくるから」。家族は仮設住宅と山形への2次避難を申し込んでいる。友達と離れる日が来るかもしれないのが心配だ。
《4月21日 ホームルームは青空の下で》
始業式が終わると初めてのホームルーム。教室がないため校庭での「青空教室」だ。4年1組担任の松本先生が「宿題があります」と伝えると、子供からは一斉に「えー!」。2組になったここあちゃんも一緒に大声をあげた。
5年2組の亮哉君(10)と春稀君(10)は「学校行くと友達会えるし、楽しい。でも、勉強かぁ」と苦笑いし、気の早い心配も。「夏休み、やっぱり短くなるのかなあ」
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【社会部発】
悲しさや悔しさではない。心の奥底の感情が、そのまま噴き出したとしか表現できない涙。そんな涙を流して嗚咽(おえつ)する“老人”の姿を見たのは、生まれて初めてだったかもしれない。
3月26日から約20日間、被災各地を巡った。
岩手県大槌町の中央公民館では、避難者らの暮らしを取材した。震災から約1カ月が過ぎ、住民らは不自由ながらも避難生活に慣れてきていた。その半面、震災当初の緊張が薄れ、避難所には疲労と倦怠(けんたい)が侵食してきているように見えた。消されたテレビ。薄暗がりの中に響く、くぐもった話し声。一日中横になったままの人々…。この傾向は、特に高齢者に顕著だった。
「退屈ではないか。何か必要なものはないか」。避難者らにそう聞いて回った。そこで出会った道又康司さん(79)は「食事も毛布もあり、何の不自由もなく過ごしている。不満などない」という。「そんなものなのかな」と安易に納得してしまっていた。
岩手を去る前日、取材で知り合った方々にあいさつするため、この避難所を訪れた。その際、道又さんも見つけた。取材のお礼を述べると、「ちょっと話を」という。そこで避難所の端のいすに並んで座った。
道又さんは「食事や衛生面に不満がないといえば嘘になる。しかし全国の皆様から本当に温かい支援をいただいている上、周囲に大勢の避難者がいる中では言えなかった」と明かした。その言葉を聞き、繊細な取材を怠った自分の顔が赤らむのを感じた。さらに、関東に住む息子から同居の誘いがあったこと、その誘いを断り町に残る決心をしたことを教えてくれた。
「大槌の復興には10年以上かかるだろう。しかし私は、もし再びどこかで災害が起きたとき、復興した大槌が今度は恩返しをする姿を見届けてからでないと、死んでも死にきれない…」
言葉の途中で、道又さんは嗚咽を漏らし、くしゃくしゃになった顔を両手で覆った。最後に50歳も年下の私に差し出された手の温かみと涙の感触は、今もこの手に残っている。(小野田雄一)
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