Jun 16, 2009

看護師求人を探している私は、

私はここ数ヶ月、看護師求人を探している。しかし、なかなか良い求人情報にめぐり会うことなく、まだ就職が決まっていない。私の希望は家から1時間以内で通える距離に交代システムが正常に組まれている職場が理想的である。看護師求人を見つけるたびに、連絡先に連絡をしてみるが、理想と現実のギ​​ャップに困っている。
日本も高齢化社会が進行して若者たちが故郷を去り、高齢者だけが残って医師も不足している状況をよく聴いています。そして、このように過疎化が進んだ地域では、医師の求人はなかなか難しいと聞いています。このような場所で、医師の求人をするときは、地方公共団体も支援をしていかないと、なかなか医師が集まらないと思っています。
 民主党の岡田克也幹事長が16日、旭市の津波被災地や香取市の液状化地区を視察した。与党幹部の同地域視察は初めて。春菊やサンチュなど出荷制限が続く旭市では農家から原発事故による野菜の出荷停止や風評被害の実情を聴取。「生活の困窮に国として早急に対処する」と約束した。
 視察後、岡田幹事長は報道陣に「千葉の震災や原発被害は見過ごされがちだが、苦しんでいる皆さんの生活を第一に対応しなければと感じる。液状化被害も被災者の立場で考えるべきだ」と述べた。
 旭市では、野菜農家5人から「3月の出荷自粛以来収入はゼロ。従業員の給与支払いや借金返済、ハウスの電気代も東京電力から20万円請求されながら、野菜を処分する気持ちを知ってほしい」「ズッキーニも風評で4〜5割の値に暴落した」などの声が上がった。岡田幹事長は原発事故の影響について陳謝し、「補償基準を早急に決め、生活が成り立つように努力する」と答えた。【武田良敬】

4月17日朝刊

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 全国の和太鼓や古典芸能が競演する「成田太鼓祭」が16日、成田市の成田山新勝寺などで始まった。東日本大震災で開催の是非が検討されたが、「物故者追悼復興祈願」として「太鼓の音で日本を鼓舞したい」と実施が決まった。17日まで。
 新勝寺大本堂前のメーンステージでは午前中、約700人が太鼓を打ち鳴らす「千願華太鼓」があった。参道を練り歩く恒例の太鼓パレードは中止。各会場で被災者への募金が行われた。午後5時からは境内で「成田山千年夜舞台」=写真=があり、かがり火に照らされた幽玄な雰囲気の中、被災地への祈りがささげられた。【西浦久雄】

4月17日朝刊

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 樹齢300年を超える印西市吉高のヤマザクラ「吉高の大桜」が満開を迎えた=写真。根元には菜の花畑が広がり、薄いピンクと黄色が美しいコントラストを描いている。
 幹は周囲6・7メートル、樹高は約10メートル。枝は東西24メートル、南北26・8メートルにわたって広がり、同市の天然記念物。市によると「咲いてから散るまで早く、17日ごろまでが見ごろ」。中央公園(印西市瀬戸)の臨時駐車場から徒歩約15分。市は「周辺の畑は私有地なので立ち入らないで」と呼びかけている。【早川健人】

4月17日朝刊

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 ◇惨状の中、優しさに驚き 衣食住足る記者、後ろめたさも
 ここは本当にまちだったのだろうか−−。潮騒が響く中、ぼうぜんと立ち尽くした。
 5日から11日間、千葉支局を離れ、応援で宮城県に入った。初日に車で亀裂や段差が目立つ東北自動車道をひたすら北上し、日が暮れかけたころ仙台市に着いた。被害の大きかった若林区へ行き、言葉を失った。民家が根こそぎなくなり、人影もなく、がれきだけが積もっていた。
 2日目から宮城県北部の石巻市へ通った。沿岸部の国道で途中の塩釜市、松島町を通り過ぎる間も、がれきの山が絶えない。壊滅的な光景にショックを受け、夜は数日間寝付けなかった。
 石巻では、いつどこにいても生々しい被災の現実を突きつけられた。営業を再開したばかりのレストランに入ると、近くに座った10代らしき若者たちから「避難」「火葬」「行方不明」といった言葉が漏れ聞こえてくる。
 遺体安置所となっている青果市場では、入り口の机に身元不明遺体の写真を載せた分厚いファイルが何冊も置かれていた。身内を捜す住民がひっきりなしに訪れ、ファイルを食い入るように見つめてページを繰る。泣きながら安置所を去る人の姿もあり、取材どころではなかった。大震災から1カ月たっていたが、石巻は復興はおろか、まだ震災の真っただ中にある。
 千葉との落差はあまりに大きい。沿岸部で大きな余震に遭うと、揺れだけでなく津波が気にかかって落ち着かない。避難所の炊き出しは長蛇の列。かろうじて開くコンビニ店はいまだに食品の棚ががら空きだ。意外だったのは、放射線の影響を気にする住民はあまりいなかったことだ。住居、食料、ライフラインがままならず、明日の生活すら見通せない中、原発の話題は二の次のようだ。
 惨状の中で驚かされたのは、東北の人々の優しさだ。
 在宅被災者に支援物資が届かず困窮している実態を取材しようと、50代の女性宅を訪ねた。周囲が壊滅する中で、奇跡的に残った家で暮らしている。取材を終え、家を辞す際に、同居する30代の娘さんが「どうぞ。これしかありませんけれど」と、ポリ袋に支援物資のパンや飲料水を詰めて渡そうとしてくる。貴重な食料をもらうわけにはいかないと何度も断ったが、「取材大変だと思うので」と勧めてくる。どうしても断れず、結局「大事にいただきます」と言って受けとった。
 悲劇の渦中で、なぜここまで優しくなれるのか。帰りの車で胸が熱くなり、涙が込み上げてきた。と同時に、まるで優しさにつけこむかのように原発のリスクを東北に押しつけ、「節電」と言いつつ衣食住の足る生活を送る関東圏に暮らすことに、後ろめたさを感じた。
 「復興? あと50年ぐらいはかかるんじゃないか」。諦めたように語る男性の一言が忘れられない。男性は石巻市で避難所支援のコーディネーターを務め、震災後は毎日ほぼ不眠不休で働く。それでも復興の手応えは感じられないという。
 未曽有の災害に対し、どこまで言葉で立ち向かえたか、まったく自信はない。人の言葉で語れる限界を超えた天災なのかもしれない。だが、それでも諦めずに日本全国や世界に被災地の現状を発信し、復興へのヒントを伝え続けることが必要だと思う。
 千葉県にも津波の被災地や液状化被害に苦しむ地域はある。放射線の影響にも振り回されている。東北で受けた衝撃を忘れず、震災取材を続けていきたい。【黒川晋史】

4月17日朝刊

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